むかし、まだ私が幼かったころ、朝部屋に入ってきたクモは吉兆、夜のそれは凶兆という親の教えに順じてクモを見つけると蝿たたきなど持って追いかけたものです。
 でもだいぶ年が経ってある日それが間違いであることを知らされました。蝿を新聞紙で叩き潰したあと、手でつまむ気になれずティッシュペーパーを取りに行きました。さて、あらためて蝿の死骸をつまもうと腰をかがめて見ますとなぜかありません。ミステリーです。
 その時私の目の近くに何かうごめくものがありました。ちょっと身を引きますと、なんと天井から2メートルも糸を引きながら降りてきたクモが蝿の死骸を自分の糸でくるんでまた天井に戻るところでした。
 あらためて考えると食肉性の虫ですからあたりまえのこと。人間から見るとおぞましい形にかかわらず益虫というべき存在であることを再認識しました。
 私はいま、クモとカマキリは決して殺しません。

 そんな人から疎まれがちなクモを終生の友として写真に取りつづけた方がいらっしゃいます。この本の作者阿部松雄さんです。


 阿部さんがクモの写真を撮り始めたのはそう遠い昔ではありません。70歳半ばを過ぎたころです。どういう経緯でそうなったのかは私に知るところではありません。


 クモは小さいものです。通常の機材で取れるものではありません。彼はもともとカメラ店の経営をしていましたからカメラ機材と撮影についてはしかるべき知識を持っていました。その技術を使い超接写のための機材を自ら作り上げました。
 近所の公園に行きあるいは山に登り、クモを採取しては撮る作業を続けたのです。
 撮影といってもクモは小さいものチョコチョコ動き回るもの、どのようにして撮影したのでしょう。阿部さんいわく、指で捕まえる、カメラの前に置く、動き出す前にシャッターを切る、なのだそうです。ずいぶんとトレーニングが必要だったのでしょう。


 こう書くとやる気さえあれば誰でもできそうなのですが、実は阿部松雄さんは若いときの職場での大怪我で左腕が不随という身体でした。ひとりではできないこともありました。
 撮影には奥様が同行し、またクモの種類の確定には日本クモ学界の方々のご指導をいただきました。そうして撮りためた写真は数百枚に及びます。


 阿部松雄さんは残念ながら平成14年10月25日にお亡くなりになりました。享年80でした。
 阿部さんの最後の大仕事は撮りためたクモの写真集をもとに写真集を作り上げることでした。2年前お亡くなりになる前に私どもの会社(光陽モネカ)にいらっしゃり出版のための情報を集めてお帰りになりました。お亡くなりになったのはその半年ほど後です。


 「クモの写真集」の出版は阿部松雄さんの遺志となり、ご家族に引き継がれました。そしてこの夏、ご家族は3回忌を前に追悼の出版を決意されました。
 それがこの「蜘蛛の顔はおもしろい」です。この本は阿部さんの最後の6年間の生き様の証明です。


 ご家族のご承諾を得て、この紙面上でクモの写真のいくつかをご紹介します。
 少々強面ではありますが、よく見ると結構かわいい顔をしています。特に目の大きいところは漫画の主人公か、インドネシアのメガネザルのようです。
 クモの目は6〜8つあります。右の写真をご覧ください。顔の正面に黒い点が散在していますが、これがクモの目です。
 阿部松雄さんをクモにひきつけた理由のひとつはここにあります。生前写真を持ってこられたときはクモの目を盛んに私に教授されていましたから。



↑ シラヒゲハエトリグモ

↑ シモフリヤチグモ

↑ オオシロカネグモ

↑ ミスジハエトリグモ(オス)

↑ オニグモの一種













Copyright(C) 2001 KoyoMoneca co. Ltd. All rights reserved.
ホームページに掲載している記事・写真などの無断複写、転載を禁じます。
図書販売 「蜘蛛の顔はおもしろい」