その1
  東京市立元加賀尋常小学校昭和7年
東京市立明川高等小学校昭和9年
 
 ここでご紹介するのは、東京市深川区の元加賀尋常小学校昭和7年と、同じく市立明川高等小学校昭和9年の卒業アルバムです。
 この2冊は江東区教育委員会所蔵品で、同区南砂の伊藤吉左衛門氏が区に寄贈されたものです。
 この地域は昭和20年3月の東京大空襲で焼け野原になったところ。この地域にあった戦前の物が残っていること自体稀有なのに、紙製のアルバムが保存されていることがすごいことです。疎開時に持ち出したのか地下の倉庫に収めてあったのか。自分の持ち物の中で残すべき大切なものが卒業アルバムだったのでしょう。
 卒業アルバムの構成はこの時期すでに固定していたようです。よく卒業写真はマンネリ化していると評されますが、70年過ぎてもほとんど変化がないのはなにか理由があるはずで、簡単にマンネリ化と片付けられそうにありません。
 時代色が出ているのはトップページの教育勅語で、現代ではニュースページがこれにあたるのでしょうか。
 制作者は、裏表紙に「美東の写真」と銘打ってあります。住所は「万世橋北詰 電話下谷83-5049」とあります。いまこの地域はご存知のとおり天下に名をとどろかす秋葉原電気街です。現存する写真館や印刷業者にこの名はありません。昭和10年当時の地図を千代田図書館で閲覧しましたが、これにもありませんでした。貸店舗の店子の名称を記入されていません。「美東」というから山口県の出身者かもしれないし、美術印刷を業とした印刷業者の写真部門の名前かもしれない、推測するのが精一杯でした。
 
元加賀尋常小学校昭和7年卒業アルバム(江東区教育委員会所蔵)
 A4サイズでページ立ては9、うち写真ページは7である。
 写真印刷はコロタイプ。他はおそらくオフセットと思われる。製本は表紙は褐色のコットン系の紙、月桂樹のリース模様を型押ししてある。綴じは写真のとおり大和綴じである。
 ちなみに同区の川南小学校を昭和35年に卒業した私のアルバムとほとんど変わらない。違うところは私の場合表紙が緑の包装紙をかぶせた厚いボール紙であったことくらい。
 ページ構成は、教育勅語・校舎・職員・クラス別児童集合写真(イ組−男子・ロ組−男子・ハ組−女子・ニ組−女子)・学年全員の体操場面、である。
児童数のクラス平均は56名で、学年計220名強である。
 
明川高等小学校9年卒業アルバム(江東区教育委員会所蔵)
 ページ立ては32、うち写真ページは15である。サイズ・印刷・製本方式は上記と同じ。表紙の型押しはゴシック建築の砲弾型の窓模様である。
 ページ構成は、教育勅語・校長と校舎・校庭での全校生集合・講堂での校長訓辞場面(前を向いているのは校長で児童はみな背中しか写っていない)・職員集合写真、つづいて1組から9組までの各クラスの集合写真、家庭科授業風景4枚(1ページ)・秋季大運動会である。
 この高等小学校の児童数は1クラスの平均がおよそ51名である。ということは1学年で500名近い。写真に写っている児童は圧倒的に女性である。ただし、明川高小が女性限定の学校ではなかった。



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